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取消窓口は四時まで ・ AI buncho公式

第1話取消窓口は四時まで

2026/10/19 公開・8,152字・👁️ 4 閲覧

「消」の右端に白を入れると、隣の「窓」との間が開いた。

 真帆は筆を浮かせた。五歩下がって確かめたいのに、廊下は段ボールを抱えた生徒で埋まっている。看板を机の向こうへ立て、首だけ伸ばした。

 校門で管楽器の音が重なった。紙コップの水に細かな波が立つ。

「瀬尾先輩、電話、ここでいいですか」

 一年生が箱を差し出した。名札が裏返っている。真帆は箱を受け取り、空いた手を伸ばしかけた。

「ありがとう。名札――」

「あ、はい!」

 返事だけ残して走っていく。真帆は指を曲げ、筆の軸を握り直した。

「まだ乾いてない?」

 柴崎航が伝票の束を置いた。

「端だけ。昨日の字、くっついて見えたから」

「取消窓口、って読めれば」

「読めなかったの」

 柴崎は電話を箱から出した。真帆は筆を水に浸す。

 雨予報で中庭の企画が移動になった。昨日は古い予約券を持った保護者と、変更を知らない当番が、別々の教室で待っていたという。

「中止を決めるのは各団体。ここは、誰に言ったかを残す場所」

「相談室とは違うってことね」

「四時で閉めたいので」

 柴崎は菓子缶を開けた。教室番号を書いた洗濯ばさみが並んでいる。

「返事待ちの票につけます。番号は、次に返事をもらう場所。電話が通じなければ、これをつけて巡回係に渡す」

「二年三組、二個あるよ」

「昨日、二回行っても誰もいなかったんで」

「二個つけても、会えない時は会えないよ」

 柴崎は一個を缶の隅へよけた。

 取消票は白い上紙と黄色い控えの二枚一組だった。「取り消すこと」「確認する相手」「取消後に残る作業」。末尾に確認欄と印の枠がある。

 真帆は朱肉の横の印を試し紙へ押した。

「取消済、じゃないんだ」

 赤く出たのは「連絡確認」の四文字だった。

「ここで取り消してやれるわけじゃないので」

「名前より地味だね、この窓口」

「仕事も地味な方が助かります」

 真帆は印のそばに丸を書いた。上紙をめくると、黄色い紙にも残っていた。机の消し屑を払ってから、硬い台紙を伝票の束の横へ置く。

 九時半の五分前、整理券を抱えた女子生徒が来た。

「紙芝居、十一時半からに変わったんです。古い券、使えなくできますか」

 真帆は新しい一組の下へ台紙を敷いた。

「もう配った分は?」

「二十枚くらい。放送、頼みます」

「十一時に来た人は、どこを見れば分かる?」

 女子生徒は券を見下ろした。

「……教室に貼ります」

「校門にも置こうか。場所は変わらない?」

 うなずくのを見て、対象欄に「紙芝居十一時開始の整理券」と書いた。女子生徒が部長へ内線をかける間に、画用紙を二枚切る。

「手元の券は時刻を直して使っていいって」

「じゃあ、小札を書こう」

 机の両側から、それぞれ「十一時半」と大きく書いた。女子生徒の「半」が端へ寄り、真帆は自分の小札を隣に置いて乾かした。

「校門の分、私が持っていきます」

「渡した人の名前、戻ったら教えて。そこまで済んだら印を押すね」

 背中を見送ると、柴崎が予約箱から紙を取り出した。担当者と直接話したい団体のため、前日から置いてあった箱だ。

「十三時、三津汐里」

 真帆はペンの蓋を閉めそこねた。

「本人同士の話、だって」

 差し出された紙には丸い字があった。

 真帆に代わりに決めてもらうのを、やめたい。

「これ、私の名前が違う欄に入ってる」

「でも、誰のことかは分かる」

「個人の話も受けるの?」

「学校の記録にはしません。十三時なら俺が交代できるから、そこの小机で話すのは構わないです」

 柴崎は窓際を指した。

「休憩が終わったら戻ってください。四時まで二人分の当番しか組んでないので」

 真帆は予約紙を裏返した。

「取消票も、学校の用件だけ?」

「記録に残して印を押すのは。書き損じなら、ただの紙ですけど」

 柴崎は端の折れた一組を裏紙の箱へ入れた。

 真帆は鞄を膝に載せた。底の封筒から、県外の職業訓練校の案内がのぞく。体験実習には、もう申し込んである。その上に薄い便箋が重なっていた。

 駅前。二人。卒業したら。

 下の方には汐里の丸い署名をなぞった跡がある。「汐」のさんずいだけ、少し離れていた。

 自分が降りたら、残りたいと言っていた汐里はどうするのか。取り消すものを受け取る机なら、この便箋も出せる気がしていた。それなのに、汐里から先に別の紙が来た。

 予約紙と便箋を引き出しへ移す。案内は封筒の奥へ押した。

「書いたの、真帆?」

 汐里が看板の前にいた。延長コードを抱え、落ちかけた一巻きを肘で押さえている。

「うん。今、直したとこ」

「遠くても分かるね」

 汐里は少し離れて眺め、それから体育館へ向き直った。

 予約、読んだよ。その一言で足を止められるのに、真帆は垂れたコードを指した。

「それじゃ引きずるよ」

 立ち上がって、ほどけた部分を持ち上げる。

「ありがとう」

 礼を言われて、真帆は腕一本分、余計に引き受けた。汐里は束を抱え直し、その分も自分の腕へ戻した。一度膝を曲げて重さを受ける。

「じゃ、あとで」

 体育館の扉が開き、誰かを呼ぶ声が漏れた。汐里が返事をする。真帆の知らない名前だった。

 指の腹にコードの埃が残っていた。真帆は椅子へ戻り、引き出しに触れる前に濡れ布を探した。

爪の脇を拭っていると、料理部の男子が空の台車を押してきた。

「展示用の皿、十一時までに取りに行くんですけど、揚げ物の担当を抜けられなくて」

 真帆は取消票を開いた。

「運ぶだけなら、二組の藤野さんが――」

 担当者の欄へ鉛筆を向けると、柴崎が洗濯ばさみを置いた。

「名前は、返事をもらってから」

「昨日、午前は暇だって言ってたけど」

 二組へ電話をすると、藤野は欠員の出た救護当番に入っていた。受話器を戻す間、男子は台車の車輪に挟まった紙テープを靴で外していた。

「部長に聞いてきます。借りるって決めたの、部長だし」

「どこにいる?」

「販売の一組です。自分から電話します」

 真帆は連絡待ちの欄に「料理部部長・二年一組」と書いた。書きかけた藤野の「藤」を消すと、紙が薄く毛羽立った。

「俺も少し抜けます」

「交代、まだだけど」

「弁当の受け取り、十時までだった」

 時計は十時十分を指していた。柴崎は腕章を押さえて走っていった。

 料理部からは、部長が皿を運ぶと電話があった。準備室の先生にも伝えたと聞き、一組の洗濯ばさみを外す。その後も景品の交換、展示場所の変更と依頼が続いた。返事の来た票を重ねている間は、引き出しを開けずに済んだ。

 十一時半過ぎ、小田七海が大判の紙を抱えて来た。

「三津先輩、一時にこちらへ来ますか」

「うん。照明のこと?」

「最後の公演、立ち位置が変わるので、器具を動かしていいか聞きたくて」

「昼は空いてると思う。体育館に行けば――」

「十三時までは作業を入れないでって、先輩から言われてます」

 真帆は時計を見た。まだ一時間以上ある。汐里がその間どこにいるのか、七海には聞けなかった。

「じゃあ、図を預かろうか」

 広げられた紙には、舞台の端から矢印が伸びていた。汐里の字で「顔を上げた時、直接入る」。そばに赤い靴の形が描かれている。

「この役の人が眩しいの?」

「それ、三津先輩です」

 真帆は小さな靴を見直した。

「靴の先をテープで囲って、私が客席から調整しました。先輩、できたって言うまで動かないんです。こっちがまだですって叫ぶと、手だけ上げて」

 家で猫背になって本を読む汐里なら、すぐに浮かぶ。舞台で光を受け続ける姿は知らなかった。

「こういうの、家でも描いてる?」

「私は家には行ったことないので」

「あ、そうだよね」

 七海は変更したい箇所を鉛筆で囲んだ。線の切れ目に小さく「返事待ち」と書く。

「これ、消さないで渡してください。先輩が見て、よければ囲みを閉じるので」

「丸じゃ駄目なの?」

「前に、染みを丸だと思って動かしかけたんです」

 紙の端には、乾いた茶色の輪があった。真帆はそこを避けて図を畳み、伝言の束ではなく、汐里の予約紙に重ねた。

 昼食のパンを開けたところで、母から電話が来た。

『塗装店の奥さんからね。春から手伝う曜日、そろそろ相談したいって』

「まだ決まってない」

『曜日が?』

「春からのことが」

 向こうで引き出しが閉まった。

『町にいることは決めたって言ってたでしょう。お父さんの通勤が変わるかもしれないから、朝、車をどう使うかって話になってるの』

「自転車でも行けるし」

『雨の日もあるでしょう。お店も人数で仕事を組むんだから、相談するなら早い方がいいよ』

 真帆は鞄から封筒を引き出した。体験実習の案内にある集合場所を、親指で隠す。

「帰って話す。ちゃんと」

『分かった。お昼、食べてね』

 指を離すと県外の駅名が現れた。乗り換えは二回。申し込んだ日に調べて、もう覚えている。

 十三時の五分前、柴崎が戻った。

「小机、空けてあります。休憩が終わったら声をかけます」

 パンの袋を閉じ、引き出しから便箋を出した。

 汐里は時刻ぴったりに来た。肩の鞄から、照明に使う色付きの薄い板がのぞいている。

「七海さんから、これ」

 真帆が図を渡すと、汐里は机で開いた。囲みを指でたどり、鞄から鉛筆を出す。

「ここなら届く」

 切れていた線をつなぎ、七海の名前の横へ「点検で合わせる」と書いた。図を畳んで鞄に差す。その手が空くのを待って、真帆は言った。

「お店のことなら、もういいよ」

 汐里は椅子の背に手をかけたまま止まった。

「何が、もういいの」

「約束。県外に行きたいんだったら、気にしなくていいから」

 返事がない。そこまで言えば座ってくれると思い、真帆は続けた。

「私は残れるし。二人じゃなきゃ絶対できないわけじゃないし、汐里が困るなら」

 鞄の金具が机に当たった。

「私がどこへ行くか、まだ言ってない」

 廊下を厚紙の冠をかぶった生徒が通り、こちらをのぞいた。真帆は膝の便箋を伏せた。「卒業したら」だけが封筒からはみ出した。

「でも、お店の約束があるから」

「私、まだ何も話してないよ」

 受付の電話が鳴り、柴崎が団体名を尋ねた。

 汐里は椅子から手を離した。帰ってしまうのかと真帆が腰を浮かせると、その手は窓際の小机を指した。

「あっちでいい?」

「……うん」

 真帆は封筒を持って立った。汐里の鞄から、閉じた鉛筆の囲みが少しだけ見えていた。

窓際の小机には、丸めた養生テープが残っていた。真帆が端へ寄せると、汐里は鞄を足元へ下ろした。

「予約に書いたの、お店のことじゃないんだ」

「じゃあ、何を」

「面談の前、先生に言ったでしょう。私は人が多い所が苦手だから、地元がいいって」

「進路の紙、まだ書けてなかったから」

「書けてなかった。でも、地元にするとは言ってない」

 受付で柴崎が教室番号を繰り返した。真帆は膝の封筒を両手で挟んだ。

「照明の講習も、午前だけ参加しますって伝えたでしょう」

「あの日、朝から仕込みだったし。帰りのバスでも寝ちゃうくらい疲れてたじゃない」

「午後に機材を触れたの。そこに出たかった」

「嫌だったら、その時言ってよ」

 汐里は机の角に爪を置いた。白く欠けたところを、一度なぞった。

「言う前に、先生が分かりましたって言うんだもん」

「あとからでも」

「真帆が隣にいるところで、違いますって?」

 真帆は靴を椅子の下へ引いた。先生の前でも、このくらい近くに座っていた。

「時計屋さんの作文、覚えてる?」

 汐里がうなずいた。転校してきたばかりで、発表の二行目から声が出なくなった日だった。真帆が横から続きを読んだ。

「あの時は、助かった」

「あの時だけ?」

 汐里の爪が止まった。

「その後も。でも、毎回じゃない」

 封筒の角が膝から滑った。押さえると、中の案内まで折れた。

 汐里は鞄から時計を出した。

「一時四十分には点検に戻る。続き、また今度にする?」

 帰ってからなら、言葉を選べる。真帆はそう思った。明日はこの机もなく、汐里に渡す紙だけが、また引き出しに残る。

「今、話したい」

 汐里は時計を二人の間に置いた。

「講習、帰りたいんだと思ってた。……ごめん」

 短いうなずきが返った。許してくれたのか聞きたくなって、真帆は便箋を出した。

 卒業したら同じ町に残る。駅前の空き店舗で、昼は真帆の看板工房、夜は汐里が照明をする小劇場を始める。午前十時開店、午後九時閉店。

「十一時間」

 汐里が読んだ。

「交代なら、できると思ってた」

「私、昼は寝てるかも」

 定休日の欄には長い波線がある。土曜も日曜も開けたいと、二人とも譲らなかった跡だった。

 汐里も同じ文章の紙を出した。「看板」の「板」に、消して書き直した跡がある。

「原本、まだあったんだ」

「真帆のも」

「窓に貼って写したから、さんずいが離れちゃった」

 あの時は暗くなる前に済ませようと、ガラスに額がつくほど近づいていた。二枚を並べると、汐里の署名だけが真帆の紙で少し傾いている。

 汐里が原本を裏返した。

 縦長の四角に六つの丸。隅には「非常口」。真帆も自分の紙を裏返したが、こちらは白かった。

「店の図?」

「劇場」

「この濃い丸は?」

 一つだけ何重にも囲まれていた。そこから舞台へ細い線が伸び、途中に「頭より上」とある。

「私の席。最初、お客さんで全部埋めちゃったから」

「六人しか入らないのに、一人減らしたんだ」

「誰かが灯りを動かさないと」

 真帆は濃い丸へ指を寄せた。客席だと思ったそこに、汐里が座っている。

 図の端には、小さく「灯りだけの日、百円」と書いてあった。

「これ、何?」

「役者が見つからなかった時」

「誰も出ないの?」

「灯りはつくよ」

 真帆は笑いかけ、やめた。汐里は図を見ていた。空っぽの舞台を、どんな順番で照らすつもりだったのだろう。

「百円、安すぎない」

「そこは、まだ考えてなかった」

 汐里は原本の横に募集要項を開いた。客席から見上げた照明器具の写真が、便箋の舞台に重なった。

「ここに願書を出そうと思ってる。県外だけど」

 実習期間と授業名に線が引かれていた。

「二年目に外の劇場へ行けるの。学校の舞台だけじゃなくて、広さの違う所でやってみたい」

「人が多い所は?」

「苦手。でも、客席に何人いたら、どう照らすのか知りたい」

 写真の奥には、数えられないほど席があった。

「じゃあ、私が残らなくても」

 汐里の指が募集要項の端をこすった。返事を待つ間に、真帆は自分の言葉をもう一度聞いた。

「……私も、行きたい所がある」

 封筒から案内を抜くと、角が引っかかって小さく裂けた。

「看板の文字を、下書きから描きたい。輪郭を直すだけじゃなくて」

 広げた紙の折れ目を伸ばす。さっき膝で挟んだところが、なかなか平らにならない。

「大きい字って、近くでよくても離れたら間がおかしくなる。今のままじゃ、店の名前の一字も最初から任せてもらえない」

「体験実習?」

「来月。もう申し込んでる」

 裏には教材費、寮の机の広さ、筆を洗う場所、と質問を書いてあった。汐里が顔を寄せた。

「そんなに調べてたんだ」

「うん」

 言ってから、真帆は裂けた角を戻した。封筒にはしまわなかった。

「塗装店にも話さなきゃ。春から町にいるって、私が言ったから」

「私も、家にはまだ学校の名前しか言ってない」

 受付で柴崎が誰かにペンを貸した。汐里は時計を見て、募集要項の余白へ三つ、質問を書いた。

「今日みたいに、次もすぐ言えるかは分かんない」

 真帆は返す言葉を探した。汐里はその間に番号を振り終え、紙をこちらへ向けた。

「電話で聞くんだけど。抜けてないか見てくれる?」

 真帆は自分の案内の上に、その紙を受け取った。

汐里の質問を読み終え、真帆は募集要項を返した。体育館から開演十五分前の放送が聞こえる。一時四十分まで、あと七分だった。

 机に残った二枚の便箋をそろえる。

「これ、一緒に取り消してもいい?」

 汐里は原本を引き寄せ、裏を向けた。六つの席と非常口が現れる。

「約束はやめる。でも、これは取っておく」

 真帆は重ねかけた手を戻した。濃く囲まれた照明の席は、汐里の指の下にあった。

「じゃあ、取り消すことだけ別に書こう」

 柴崎の通話が終わるのを待ち、裏紙箱の用紙を一組もらった。

「持って帰ってくださいね」

「うん」

 小机へ戻り、受付番号と印の枠を線で消す。上の余白に「私用」と書いた。

 対象欄は「卒業後、同じ町で共同出店する取り決め」。汐里が途中を指す。

「進路上、って入れて」

 字を詰めて書き足した。残る作業には、家族と学校へそれぞれ希望を伝えること、塗装店へは真帆が説明することを書く。

「謝るのも、ここに書く?」

 ペン先を空いた行へ向けると、汐里は首を振った。

「お店をやめることには、いらない」

 真帆は空欄を斜線で閉じた。空き店舗には借りる相談もしていない。返金も返却もなく、知らせる相手の名前も増えなかった。

 二人で署名し、上紙をめくる。黄色い控えには最初の一行しか写っていなかった。

「台紙、どこ?」

 二枚の間から硬い角がのぞいている。

「下の紙、まだ出店するんだね」

「待って。今やめるから」

 汐里が吹き出した。真帆は台紙を抜き、同じ文字をもう一度たどった。小さく足した「進路上」まで写ったのを確かめる。

「これで、いい?」

「うん」

 白い紙は真帆が、黄色い紙は汐里が持った。便箋もそれぞれの鞄へ戻す。汐里は原本を折る前に、劇場図の濃い丸を一度指で払った。

 受付へ戻ると内線が鳴った。

『三津先輩、片付けにも出られますかって、聞き忘れて』

 七海だった。

「汐里は四時まで――」

 鞄を肩にかけた本人と目が合う。真帆は受話器を差し出した。

「七海さん」

 汐里は受け取り、体育館の方を見ながら話した。

「出られるよ。照明の点検が終わったら帰るけど。工具は私が戻すね」

 真帆は次の依頼者へ、整理券を置く場所を示した。

 四時になっても、確認待ちは二件残った。椅子の返却数と、展示の案内撤去。柴崎と一本ずつ電話をかけ、票へ相手の名前を記入する。

 最後に二年三組の洗濯ばさみを外した。缶の隅には、朝よけたもう一個がある。真帆は二つを並べた。

「二回行くより、電話が早かったね」

「来年は電話番号も書かせます」

 柴崎は用紙の見本の端へ、小さく書き込んだ。

 真帆は看板の紐をほどいた。

「これ、裏を練習に使ってもいい?」

「どうぞ。来年は来年で作るので」

 壁へ立てかけ、携帯電話を持って校庭へ出た。潰した空箱を運ぶ列から離れ、母を呼び出す。

『夕飯、何時になる?』

「七時には帰れる。それと、春からのことで」

 体験実習に申し込んだことを話した。向こうで食器の触れる音が止まる。

『日程、帰ったら見せて。塗装店には、あなたから電話できる?』

「できる。相談の時間、もらう」

『じゃあ、車のことはそれからね』

 電話を切っても、七時までの仕事は残っていた。

 校舎へ戻ると、「消」の字はすっかり乾いていた。看板を持ち上げる。朝に塗り足した白は、廊下の端からでも見えた。

 十一月の朝、駅の待合室で汐里を見つけた。

「今日だったんだ」

 隣に座り、案内を見せ合った。学校も乗り換え駅も違う。汐里の列車が先だった。

 時計を見上げた襟に、細い糸が残っていた。

「後ろ、値札の糸」

「え、取ったのに」

 汐里は首の後ろを探り、何度か空をつまんだ。

「鋏ある? 切ってくれる?」

 真帆は裁縫道具を出した。汐里に襟を引いてもらい、小鋏の先で糸を一本切る。切れ端を包む紙を探すと、汐里が弁当袋から海苔の包み紙を出した。

「もう食べたの?」

「まだ。おにぎりに巻いてから捨てようと思って」

 膝の上で包みを開いたが、海苔がない。袋をのぞき、底から平たい袋を引っ張り出す。

「あった。潰さないように下にしたんだった」

「私は卵焼きが崩れた」

「ご飯に載せれば?」

「もう載ってる」

 汐里が笑い、おにぎりをしまった。列車の案内が鳴る。

「写真、撮れたら見せて」

「撮っていい所があったらね」

 紙袋を抱え直し、汐里は改札へ向かった。真帆はベンチで、自分の列車を待った。

 乗車してから、鞄の脇に入れてきた練習板を膝へ置いた。文化祭の看板を、課題用の寸法に切ってもらったものだ。表には「取消窓口」が途中まで残っている。

 塗装店には自分で電話をかけた。春の仕事は体験実習の後に改めて相談する。その電話の最後に、店名を課題に使っていいか尋ねると、いつも缶に貼っている名前の見本を用意してくれた。

 真帆は板を裏返した。

 定規で横幅を測り、左右に余白を取る。見本の文字数を数え、鉛筆で小さな区切りをつけた。列車が動き出し、一つだけ線が斜めになる。

 消しゴムでその線を消し、板を窓枠から離した。

 店名の最初の一字を、空いた面へ薄く書き始めた。

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