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避難済みの部屋 ・ AI BunCho 公式

第1話避難済みの部屋

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2026/10/28 公開・7,902字

「私、まだ五階にいるんですけど」

 電話の向こうで、宇野佳代が言った。

 片瀬実央は中庭の掲示板を見た。五〇三号室の白い名札が、緑の線で囲まれた「避難済み」の欄にある。三分前、自分で移したものだった。

「お迎えの方は、まだですか」

「来ています。玄関の外に。下でお弁当を食べて待っていてくださいって」

 腕時計は九時四十二分。訓練開始まで十八分あった。

「名札を戻してもらえますか」

「はい。事前にご案内する方は、先に確認する手順で」

「私も、先に避難したことになっていますか」

 実央は札を外した。下から「五〇三」と書かれた黄色いテープが現れた。去年の配置を見て、今朝、自分で貼り替えたものだった。

「いま外しました。そちらへ伺ってもいいですか」

「お願いします」

 白い札を「未確認」へ戻した。机の無線機から、係員集合の連絡が流れた。

 さっき聞いたのは「五〇三、お迎えに入りました」だった。到着の報告ではない。実央は返事をしながら札を動かし、名簿にも丸をつけた。

 手順書には「事前誘導者は通常点呼と重複させず、完了人数に算入」とある。到着を待てば直せる間違いだった。黄色いテープを剥がそうとして、実央は手を引いた。

「一号棟の腕章、ここでいいんですよね」

 机の前に住民が並び始めていた。

 二棟九十六戸。十時に一階ごみ置き場からの出火を告げる訓練放送を流し、エレベーターを使わず、西階段から中庭へ避難する。十時十二分に点呼完了、十一時解散。そのあとに翌年度の契約更新だった。

 防災委員長の須賀正治が、腕章に肘を通しながら来た。

「宇野さん、まだ下りてないの」

「お迎えは着いています。私が伺います」

「始まる前なら、ゆっくりエレベーターで下りられるのに」

 須賀は弁当を一つ持ち上げた。

「出入りしやすい席も空けてあるよ」

「各棟の係の確認をお願いできますか」

 受付の脇にいた青年が顔を上げた。初参加の榊晴人だった。実央は名簿とペンを差し出した。

「来た方の部屋番号に丸をお願いします」

「この人、もう来ました?」

 榊の指が五〇三で止まった。

「そこは消してください。先につけてしまったので」

 彼が紙の端を押さえて消すのを待ち、実央は五〇三の札をクリップボードに挟んだ。

 去年の報告書には「要支援者、事前誘導により円滑に実施」とあった。実央が引いた黄色い線が残っている。今年の計画を作るとき、そのまま写した一文だった。

 エレベーターの鏡に、裏返った社員証が映った。名字を表へ直す。ここへ通い始めて半年、ようやく「片瀬さん」と呼ばれるようになった。

 昨夕、上司の北原が広げた冬の勤務表には、実央の名字が鉛筆で入っていた。

「ここの更新が決まらなければ、巡回班だ」

 早朝の倉庫で資機材を積み、日ごとに違う現場へ行く班だった。今月は二件の契約が切れている。今日は理事長の出勤前に署名まで済ませたい、と須賀にも頼まれていた。

 五階に着くと、誘導係の女性が二人、玄関前で待っていた。

「もう出られるところなんですけど」

 二人の間から佳代が見えた。車いすの背に薄い上着、膝に小さな鞄。靴も履いている。実央は、外へ出たくない理由を聞くつもりで上がってきていた。

「すみません、わがまま言って」

 佳代はクリップボードに目を留めた。

「持ってきてくれたんですね」

「到着を確かめずに移してしまいました。申し訳ありません」

 札を抜くと、佳代は靴箱の小皿を奥へ押した。

「ここに置いてもらえますか」

 白い札を置く。佳代が、部屋番号を廊下へ向けた。

「下には、もうすぐ行きますって伝えてあるんです」

 誘導係に言われ、実央は腕時計を見た。九時四十九分。二日前の電話で事前誘導を案内したとき、佳代は「わかりました」と答えた。連絡済みのチェックも入れてある。

「では、先に下りていただいて、詳しいお話は中庭で伺えますか」

 佳代は靴箱の名札から手を離した。

「それなら、電話だけでよかったですね」

 誘導係の一人がエレベーターの下りボタンを押しに行った。実央は呼び止められなかった。遠くで到着の音がした。

 佳代は鞄を膝に引き寄せた。下りる支度をしていたのではない。もう出られるようにして、話が終わるのを待っていたのだ。

 実央は無線機を取った。

「五〇三号室、これから——」

 送信ボタンを押しかけて止めた。到着予定を告げれば、地上ではあの黄色いテープの上が空けられる。そこへ札を戻せば、自分の確認漏れは片づく。

「すみません。いまのお願いは取り消します」

 佳代ではなく、先に誘導係へ顔を向けた。

「呼んでいただいたのに申し訳ありません。まだ下りません」

「ほかのお宅の確認もあるんですが」

「開始までに戻れるようにします。間に合わなければ私から須賀さんに伝えます」

 女性は開いたエレベーターの扉を見送り、戻ってきた。

 実央はクリップボードを胸元から下ろした。まだ何も聞けていないのに、帰る時刻だけを約束していた。

「宇野さん。ここから、どう参加なさりたいですか」

 開始まで、あと九分だった。

階段室の扉が開き、須賀が弁当を持って入ってきた。玄関まで来ると、挨拶より先に息をついた。

「具合でも悪くなった?」

「いいえ。普段いる場所から参加したいんです」

 佳代の返事に、須賀は弁当を持ち直した。

「本当の火事なら消防に頼むことになるけど、今日は安全に、皆に顔を覚えてもらうのが先だと思ってね」

「私の分は、何分あります?」

 佳代が実央の進行表を指した。

「事前のご案内に十五分です」

「始まってからは」

 十時二分、各階誘導開始。西階段から中庭へ。実央は点呼まで指を滑らせた。五〇三の文字は、九時三十五分の欄にしかなかった。

「お部屋に残る場合の手順は、ありません」

 須賀が窓台に弁当を置いた。

「搬送具ならある。去年、消防に相談して買った。管理室の下から二段目、黄色い紐の袋だよ」

 実央の備品一覧にも、一台、六月点検異常なし、とある。確認印は自分のものだった。

「取ってきましょうか」

 誘導係の女性が言った。実央は頷きかけた。袋がここに届けば、進行表の空白に何か書ける気がした。

 佳代が鞄を窓台へ置き、肘掛けに両手をついて座り直した。

「待ってください」

 実央は女性を止めた。

「この階段で使ったことはありますか」

「まだだ。届いた日に説明は聞いた。練習は会社の人と日を決めることになってた」

 実央が六月に確かめたのは、布地の破れと金具の状態だった。人を乗せたことはない。

「今日は使えません。操作を習っていない人だけで、ここから運ぶ変更はできません」

 須賀は手帳を開いた。細長い点検票の控えが挟まっていた。「異常なし」の丸の隣に、「未使用・練習日調整」とある。

「毎月、これで出したんだよ。見積もりも三つ取って、総会も通して」

 実央は控えに触れず、自分の一覧を閉じた。

「練習待ちのままだったことを、今日の記録に残します。後で控えを見せてください」

「買っただけにしたくて、買ったんじゃないんだ」

 須賀は点検票を戻した。実央は「搬送具あり」の後ろに、使える人の名を書く場所を作り、空けておいた。

 エレベーターから榊が出てきた。外れた腕章を握っている。

「受付、管理員さんが代わってくれました。開始は変わらないかって」

 九時五十六分。実央は無線で十時開始と答えた。

「なら、二人ここに残ればいい。君、支援担当だったね」

 須賀が手帳を開く。

「今日なら十一時までです」

「長くはかからないよ」

「その後は寝ます。今夜も勤務なので」

 榊は腕章の安全ピンを留め直した。

「入居の紙には、力仕事は手伝えるって書きました。でも、水曜にいるとは書いてないです。今日は夜勤が延びなかっただけで」

 須賀の指が、名簿の一行上へ動いた。そこにも名字と電話番号しかなかった。

 実央は出席者名簿を出し、榊の名の横に「本日十一時まで」と書いた。

「それまで連絡をお願いできますか。搬送は頼みません」

「はい」

 誘導係の一人も十一時には帰ると言った。実央は二人の女性に予定の各戸確認を頼んだ。ここへ戻るようには言わなかった。

 佳代が鞄から広報紙を出した。集合写真の端で、弁当を肘掛けに載せた佳代が手を上げている。

『全参加者、十二分で避難完了』

「皆さんを、ここに置いておきたいんじゃないんです」

 折り目を伸ばす指が止まった。

「写真、いい顔してるでしょう。このときは、終わってからでも言えると思っていたんです」

 無線が鳴った。

「点呼係です。事前誘導の一名は、今年も完了人数に含めますね」

 須賀が腕時計を見せた。

「いま下りれば、まだ放送に間に合う」

 実央は靴箱の白い札を見た。

「はい、五〇三は今から下へ——」

 佳代の手が広報紙を畳んだ。隣で誘導係が、ほっとしたように無線機を持ち上げる。

 実央は送信ボタンから指を離した。

「すみません。いまの連絡は、しないでください」

「また変更ですか。下では私の報告を待ってます」

 女性の声は小さかった。実央は彼女へ向き直った。

「私が説明します。もう一度待たせてしまって、申し訳ありません」

 自分の無線機を口元へ上げた。

「五〇三はまだご自宅です。事前に下りた人数と、開始後に避難した人数を分けて残してください」

「用紙に欄がありません」

「余白にお願いします」

 紙の上では、十五分早く下りれば十二分以内に入れた。部屋にいるままでは、矢印の一本も続かなかった。

「宇野さん。お部屋から参加する、でよろしいですか」

「はい」

 実央は西階段への矢印の脇に五〇三と書き、そこから先は引かなかった。

 十時の予告音が鳴った。

「お二人は持ち場へお願いします。ここには私と榊さんが残ります」

 誘導係の女性が実央を一度見て、階段へ向かった。須賀は弁当を窓台に置いたまま、二人のために階段室の扉を押さえた。

佳代は車輪を引き、玄関の扉に手を掛けた。

「普段は閉めていますから。ここからお願いします」

 錠が回った。放送が一階ごみ置き場からの出火と、西階段を使うよう告げた。住民が廊下へ出てくる。須賀は階段室の扉を押さえ、実央と榊は壁際へ寄った。

「五〇三号室、一名在宅。玄関前に係三名です」

 無線に報告してから、実央は扉へ向いた。

「安否は確認できました。避難方法は、次の検討事項に残します」

 扉の向こうで、紙の擦れる音がした。

「それ、私が最初にお願いしたことです」

 錠が戻り、佳代が広報紙を差し出した。写真の裏に、鉛筆で三行書いてある。

「一昨年、迎えの方が時計ばかり見ていたんです。受付の交代に戻れなくて。それで私から、先に下りましょうかって」

 階段へ向かう最後の住民を見送り、須賀が戻ってきた。

「あのときは助かったよ。係が一人休んでね」

「ええ。だから、その日はそれでよかったんです」

 佳代の指が、鉛筆の行をたどった。

『今年は先に下りる。次年度、自宅からの手順を確認』

 下には須賀の名字があった。

「その場で書いてもらいました。去年も持っていったけど、終わってからだったので」

 須賀は眼鏡を押し上げた。

「報告にも書いた。搬送具の練習と一緒に、と。管理室に控えがあるはずだ」

 実央が読んだ報告には、円滑に実施、としかなかった。今年の計画を須賀に渡したときも、確認したのは担当者と時刻だった。去年と同じなら、と頷き合った。

 佳代が先に下りる案を出した。須賀が席を用意した。その一日分の相談を、実央は翌年も使える手順として印刷していた。

「その紙、後で写しを取らせてください」

 実央は進行表を裏返した。「本人希望で在宅参加」と書きかけた一行を消し、「前年からの未実施事項」と書いた。

 無線が鳴った。

「五〇三以外、確認しました。そちらは連絡が取れていますね」

 実央は「本人との連絡可能」と書いた。

「停電なら、ここのインターホンは使えません」

 佳代の指が止まった場所へ、「本日の条件では」と足す。玄関前に係三名、無線機一台。今は扉越しに声が届く。それを確かめるために、三人で五階に立っている。

 携帯が震えた。北原だった。

「理事長から、予定どおり終わるのかと来てる」

 実央は数歩離れた。搬送具はあるが、操作を習った人がいない。自宅からの避難手順もない、と伝えた。

「即席で運ぶな。できなかったことは、そのまま報告して」

「私が土曜に来て、練習の日だけでも——」

「先に休みを差し出すな。会社の引き継ぎは会社で調べる。建物の確認は、残り契約で何ができるかを決めてからだ」

 実央は予定表の土曜に置いた指を離した。

「今日、再訓練まで約束しなくていいですか」

「約束しないで。人数も費用も決まってない」

「更新は」

「この状況で署名を急がせるわけにはいかない。担当枠も、確保できるとは言えない」

 電話を切ると、十時十分だった。

 須賀が窓から中庭を見下ろした。

「エレベーターで下りて、顔を見せれば全員無事とは言える。理事長も、もう出勤だ」

 実央は靴箱の名札へ手を伸ばした。札を持って下りれば、地上で最後の一枚をはめられる。

 佳代は止めなかった。

「下りるのは構いません。下りた時刻と、何を使ったかも書いてください」

 実央の手が札の手前で止まった。

 進行表の十時十二分には、赤い丸がある。朝、講評を担当する理事長に頼まれてつけた。ここまでに揃えば、そのまま更新の席へ移れるはずだった。

 無線が鳴る。

「五〇三の札、緑へ移していいですか」

「まだ移さないでください」

 須賀が実央へ向き直った。

「未完了と出したら、来年も頼めるとは保証できないよ。私が説明して済む話じゃなくなる」

 実央は進行表の空白を見た。搬送具を取りに行っても、使える人は増えない。あと二分、佳代を玄関で待たせても、階段を下りる手順は生まれない。榊の十一時も、そこから延ばすことはできなかった。

「これ以上、今日の人員で安全に確認できる項目はありません」

 無線を上げると、理事長の声に替わった。

「講評は全員無事で締めます。残りは報告書にしてください」

「所在は全員確認できました。ただ、五〇三号室からの避難は完了できませんでした。講評でも、その二つを伝えてください」

「それなら更新の話は、今日はできませんよ」

 親指が送信ボタンの縁から滑った。実央は両手で無線機を握り直した。

「承知しました。五階に住民一名、係三名。これ以上の移動は試さず、十時十一分で避難行動の訓練を終了します」

 数秒後、集計係が人数を復唱した。

 実央は完了時刻の欄に斜線を引いた。欄外へ終了時刻を書き、佳代に見せた。係三名の横には、小さく「連絡確認のため滞在」と足した。

 榊が袖を上げた。

「十一時までには下へ戻れますか」

「戻れます。ここからは訓練後の移動です」

 佳代は車輪に手を掛けた。須賀は窓台の弁当を持ち、エレベーターへ向かった。実央は各担当へ想定の解除を伝えてから、靴箱の白い札を置いたまま、玄関を離れた。

エレベーターの中で、佳代が言った。

「下で話すのは、階段で下りられないことまでにしてください。病気の説明は要りません」

 実央は頷き、講評用の紙を裏返した。

 中庭の時計は十時十四分だった。集計係の用紙には、参加二十九名、地上二十五名、五階四名。完了時刻の欄には斜線が引かれていた。

「十二分も待たなかったの?」

 椅子を畳みかけた男性が手を止めた。

「母の通院を午後にずらして来たんだよ」

 実央は畳みかけの椅子を受け取った。

「搬送具を扱える人がおらず、残る一分で安全に試せることはありませんでした。放送と西階段の誘導、所在確認は実施しました。五〇三号室からの避難は未実施です」

「それ、帰った人にもわかるようにして」

 結果用紙に三行を書き足した。空欄だった講評には、理事長が自分のペンで「避難完了せず、十時十一分終了」と記した。

 榊が腕章を返しに来た。安全ピンを閉じ、机に置く。

「もう帰っていいですか」

「はい。ありがとうございました」

 彼は欠伸を押さえ、十一時になる前に中庭を出ていった。

 集会室で、理事長は更新申込書を鞄へ戻した。

「会社の準備不足まで、こちらの残り予算で調べてもらうわけにはいきません」

 机の電話から北原の声がした。

「引き継ぎと計画作成の検証は、弊社の負担です。建物の連絡条件などを確認する業務とは分けます」

 須賀が封筒から去年の控えを出した。集計表は二枚組で、二枚目に「次年度、自宅からの手順を確認」とある。

 実央は会社の保存データを開いた。同じ文言が右端の「継続事項」に残っていた。しかし報告用の印刷範囲は、その手前で切れている。

「組合の控えは全列を二枚で印刷しています。会社で報告書にした際は、実施結果までしか印刷していません。その一枚から、今年の計画へ転記しました」

 理事長が、戻した鞄の口を開けた。実央は更新申込書が出てくるのを待った。

 出てきたのは、今年の計画書だった。承認印の脇を指で押さえる。

「私も、去年と同じならと判を押した」

 須賀が眼鏡を外した。

「私も時刻と人数しか見ていない」

 実央は、印刷設定を直します、と言いかけて口を閉じた。右端の列があっても、この計画は通ったかもしれなかった。

「次回は、未実施の項目ごとに、確認した人と判断を残す欄をつけます」

 須賀は二枚目を上にした。

「最初に見るのを、こっちにしよう」

 更新は保留となった。残る契約一回分を現状整理に使う案は、次の理事会に諮る。北原が費用内でできる範囲を出し、それ以上は別見積もりにする。実央は承認待ちの担当欄へ名前を入れた。

 聞き取り票を出すと、佳代が引き寄せた。

「これを配る前に、私も見ていいですか」

 病名の欄を指していた。

「連絡がつく方法を決めるなら、何を誰に知らせるかから相談したいです。私の記入例を先に作らないでください」

 実央は各戸訪問の予定を消し、用紙検討、と書いた。

「その打ち合わせに、参加をお願いできますか」

「月末以外の水曜午前、月一回なら。仕事の電話には出ます」

 その時間も変更案に添えた。再訓練の日付は空けておいた。

 管理員が弁当を運んできたとき、佳代は仕事へ戻るところだった。実央も会社で報告をしなければならない。消費期限を確かめ、二人分を集会室の冷蔵庫に預けた。

「夕方、届けてもいいですか」

「十八時なら。来る前に連絡をください」

 会社では冬の勤務表ができていた。十二月の最初の二週間、実央の名字は巡回班にあった。五時四十分、倉庫集合。

「担当枠は空けておけなかった」

 北原は言った。

 実央は勤務表を撮った。始発を調べると、駅まで自転車で行かなければ間に合わなかった。しばらく画面を見たあと、倉庫の鍵の受け取り日を尋ねた。

 現状整理の変更案は、まだ承認待ちだった。

 夕方、佳代に連絡すると、一緒に食べませんか、と返事が来た。

〈届けてもらうお礼ではなく、私もまだなので〉

 実央は、自分の分も持っていきます、と送った。

 十八時前、冷蔵庫から弁当を受け取った。掲示板には結果用紙が残っている。緑の枠の中で、五〇三の黄色いテープだけが空いていた。

 実央は管理員に断って、掲示板全体を写真に収めた。剥がすのは、報告に残してからにした。

 五階で呼び鈴を押す。車輪の音が近づき、少し待って、佳代が錠を外した。

「今、終わったところです」

 靴箱には白い名札があった。その脇へ佳代が鍵を置く。実央は招かれてから靴を脱いだ。

 食卓の椅子には洗濯物が載っていた。佳代が膝へ移し、実央は空いた椅子に座った。

 冷たい米に箸を入れると、四角い塊のまま持ち上がった。

「温めます?」

「このままで大丈夫です」

「私も。今日は容器を移すのが面倒で」

 佳代が笑った。実央は米の角を少しずつ崩した。

 湯飲みが二つ置かれた。鞄から手帳を出しかけ、そのまま戻す。

「お茶、濃いほうでいいですか」

「はい」

 佳代は急須の蓋を押さえ、二つの湯飲みへ交互に注いだ。実央は差し出された一つを受け取り、弁当の横に置く場所を空けた。

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