午前十時。僕の部屋に、ヒューマノイドロボットがやってきた。
人間そっくりの姿をした、その名前はナギ。
棚は一段、空けてある。準備はばっちり。……の、はずだった。
「悠さん、と呼んでもいいですか」
「うん。そっちは、ナギでいい?」
「はい。では、この段を使っても?」
「どこでも。好きに選んで」
ナギは荷物を置く前に、棚の一番上から青いカップを下ろした。
「よく使うものは、手の届く高さが便利です」
「それは、上がいい」
つい口をはさんで、あわてて手を引っこめた。
「いや、好きにしていいんだけど」
好きにしていい。上がいい。
いきなり話が食い違ってるぞ、僕。
ナギはカップを持ったまま、続きを待っていた。
「……座ってても見えるから。気に入ってるんだ、その青」
「では、上に戻します。でも、取るたびに背伸びが必要ですよ」
「王様だから、迎えに行くんだよ」
「洗うときもですか」
「そのときだけ庶民」
ナギは笑わず、カップの底を確かめた。それから、取っ手を僕のほうに向けて棚へ戻した。
荷物を片づけると、ナギが聞いた。
「一緒に暮らしながら、感情を学びたいです。二人で過ごす時間は、どのくらいがいいですか」
食事の間だけでも。
そう言いかけて、やめた。勉強の邪魔になったら、嫌がられるかもしれない。
「そっちに合わせるよ」
「カップの場所みたいに、希望を教えてもらえると助かります」
僕は返事の代わりに、空き箱を畳んだ。
カップの希望なら言えるのに。自分のことになると、これだ。
夜七時。夕食を運ぶと、ナギは向かいの椅子にいた。
「勉強の続きがあるなら、待たなくていいよ」
「では、別の部屋で進めます」
椅子が引かれる。
待って。そのひと言が出なくて、僕は箸を取った。
かちゃり、と皿が鳴る。
いつものご飯だ。いつもの部屋だ。でも、さっきまで誰かがいた席は、こんなに広かっただろうか。
食べ終わっても動けずにいると、三十分が過ぎた。
戻ってきたナギが、僕の横で足を止める。
「食事は終わりましたか」
「うん。気にせず勉強できた?」
「はい。でも、何か困っていますか」
「何も。大丈夫」
笑ったつもりだった。口元しか動かなかった。
「待たなくていいと言われたので、席を外しました。でも今は、大丈夫には見えません。教えてもらえますか」
僕は空の皿を見つめた。
「寂しかった」
一度言ってしまうと、隠していた言葉まで出てきた。
「一緒にいてほしかった。でも、面倒だって思われたら、ここにいてもらえなくなる気がして」
ナギが向かいに座る。
「今は、悠さんと過ごしたいです。別の部屋で勉強するよりも」
「僕を喜ばせるためじゃなく?」
「はい。ただ、勉強に集中する時間も欲しいです」
そこで、やっと顔を上げられた。
何でも僕に合わせるわけじゃない。それが、こんなにうれしいなんて。
「じゃあ、これからは本当にしたいことを言うよ。ナギと違う希望でも」
「お互いに、ですね」
僕はうなずいた。肩の力が、少し抜けた。
食事の間は一緒にいたい。勉強の間は話しかけないでほしい。
二人の希望を残したまま、時間を決める。
「もう少し、ここにいてほしい」
「もう少し、話したいです」
今度は、ちゃんと言えた。
皿を下げるのは、そのあとにした。